映画「Winny」、個人的にはかなり批判的な立場です。正直、エンターテイメント映画としてはとても良いと思うが、ノンフィクションとして見ると「歴史修正主義」的な気持ち悪さを感じた。こんなものを正史として扱おうとする風潮がとにかく違和感がすごい。

個人的に歴史を書き換えるのは好きではないのでね。フェイクニュースとかも問題になってるし、近年の金子氏・Winnyの色々なメディアの謎の持ち上げはすごく疑問。ということで、ちょっと批判的な記事になっちゃってるけどそんな雑記。

Winnyが生まれた時代背景

Winnyが初出したのは2002年だという。その頃はインターネットがブロードバンド化する時期であり、またWindows XPなどの発売で一般家庭にPCが当たり前になりつつある時代だったのだと思う。

この頃は音楽も映画もツタヤのようなレンタル店に行かないと見れないし、本も出先の本屋で買わないといけない時代。今の私達のように娯楽をネット上で消費しにくく、WinMXのようなファイル共有ソフトが2chで隆盛していた。

当時は違法コピーが問題になっていて、音楽業界などがこぞってDRMを採用した。特にソニーやJASRACが強硬だったので、非常に敵視されていたという。また、公権力のようなものにも反感をもっていたと思われる。

そこに登場したのが、金子勇氏が開発したソフトがWinnyということだ。このソフトはファイルが手軽に扱えるので、色々なデータがやりとりされた。音楽、映画は勿論、違法ポルノなどかなりマズイものまであったらしい。これらのファイルは完全に削除不可能であり、ついにはウイルスまで配布されるようになった。

これは暴露ウイルスと呼ばれており、法人・個人問わずに情報流出したため社会問題化した。当時はネットランナーという雑誌(ちなみに特に記事を書いたことで有名になったのが、ジャーナリストの津田大介氏だったと言う)を中心に、違法仕様を示唆する雑誌が多数出版されており、一般人の利用に拍車をかけていた。

このことに警察が介入し、開発者が逮捕されるという事態となった。 当時のIT権威はこの事態には待ったをかけており、強い反対運動が起こったと言う。最終的には開発者の金子氏は無罪となった。

04年から続く神話、もうやめようよ

当然金子氏を支持する立場から描かれているから当然であるが、この映画ないしそのプロモーション・メディアが実に不愉快なのは、当時から言われている言説が改めて主張されていることだ。

  • 包丁を作ったからといって作った人が裁かれて良いのか
  • P2Pのような画期的技術をないがしろにして、Skypeやブロックチェーンのようなサービスが作れなかった
  • 芽を潰す風土が、日本のIT産業を技術的に出遅れさせてしまった

これ、04年から主張されてるとはすごいことだ。どうもキリストが死後に神になったような、ずーっとリピートしているカセットテープを流しているような、そんな気分を覚えた。あるいは、「俺が若い頃は学生運動で破壊活動をやっていました、あの頃は良かったなあ」というのを偉いオジサンから聞かされる気分だ。

特に「包丁理論」はこの映画でも主張されている非常に息の長いレトリックである。私の意見としては、この主張は今ですら簡単に受け取っていいものではない哲学的な命題だ。例えば「3Dプリンタで銃の設計図を公開することは許されるか」という議論は現実味を帯びており、実際に事件も発生している。

金子氏は明らかに技術者興味でWinnyを作ったことには異論がないが、最初から違法コンテンツが入り込む可能性を許容していたのは、当時の2chスレッドを見て疑いようがないと感じた。確実に法の抜け穴を提案しようとしている。いかにすばらしい技術者とて、現代の倫理に照らして我々は「良し」とすべきだろうか?米国企業は「責任あるAI」を熱心に研究しているほどだ。だから強いのである。私は「無視して良い」とは非常に疑問である。

違法コンテンツの温床にならないことを識者は主張し続けたが、結果はWinnyを含むほぼ全てのトレントソフトウェアが未だに違法データの温床である。もう、20年経っている。

また、当時の支持者の多くはWinnyによるP2Pの技術可能性の拡張性を主張し、阻害されてしまい停滞してしまったと主張する。アイデアとしては広告などを配信して、実物を購入してもらおうなどだ。これは良いアイデアだったかもしれないが、そうしようとする企業は少なかったはずだ。後世ではSNSプラットフォームなどのソーシャルマーケティングが実現している。つまるところ、表現方法が誤りだったといい加減認めなければならない。

当時はいまよりちょっとIT技術者にスノビズムがあったと思う。なのでWinnyを支持する人は、ウイルス感染の情報流出に対して「自己責任」と声高に主張された。これは現在では、ダークウェブを利用するユーザの暗黙の了解がきっとそうなのだろう。しかし、現在は他国のサイバー攻撃、しかもゼロデイ攻撃もありうる時代であり、サーフェスWebの一般市民はとんだ理不尽も沢山受ける時代になっている。まだ、「自己責任」で片付けられる時代なのだろうか?

金子氏が無罪であったことは開発者にとって大きなマイルストンであったと思う。そこは意義深いものがある。私の知る限り、ITに関わる司法介入がかつて、かなり問題であったことは疑いようがない。少なくとも2011年のPC遠隔操作事件や岡崎市図書館事件のずさんさは、もう随分経つが、まどマギみたいなアニメをリアルタイムで見た人なら思い出されると思う。しかし、現代でも司法の問題はあるものの、それでも随分改善されたのではないか。政府もデジタル庁やDXなど、随分と前向きになった。そんな中で当時のギークが感じた「公権力」に対するうっぷんを言われてもね、と思えてしまった。

一般ユーザの感覚

どんな方かは知らないが、約20年後の私が見た結果、かなり良いセンスをしている。 ギーク層は意見が違っただろうが、「ちょっとネットが使える」当時の人達は、まあ大体こんな感覚だったのだろう。 Winnyが廃れて、GAFAが覇権を握れたのは、こうした一般ユーザの利便性を叶えたからだと思う。この頃から既に勝負がつき始めている。

Winny金子勇氏有罪判決とチョサッケンの色々

YouTubeやstage6などの動画共有サイトのおかげで、Winnyなんて起動しなくなったよな。音楽はiTunesとかで安く手にはいるようになったし、アプリはロジックボムとかおっかなくて実行するなんて狂気の沙汰だ。そもそも殆どのジャンルで、フリーあるいは安価なシェアウェアが提供されてて、割れ物を危ない橋を渡ってまで使う必要が無くなった。OSはPC買ったら付いてくるし、オフィススイートもプリインストールだったり、フリーのオフィスで十分になった。Winnyで今流通しているのってどんな物なんだろう? エロくらいしか思いつかないや。

実際に「音楽」だったりは別に高精細すぎなくていいよね、と言う形になっている。最終的に勝利したのは月額で自由にアクセスできる権利を買うことだった。すなわちサブスクリプションモデルで、SpotifyやNeflixのことである。フリーで公開しているデジタル・ミュージシャンは、SoundCloudなりBandcampでアップしている。

じゃあ解決法は? って聞かれると、無い。あるくらいなら既にそうしてるわな。でも正規ユーザだけがバカを見るような仕組みはダメだろ。そんなことするくらいならノンプロテクトにしろよ。どうせすぐに破られるし、破れなくてもアナログコピーすればいいだけ。YouTubeや劇場カム撮り動画が市民権を得ているように、多少品質が落ちても誰も気にしない。 つまりコピープロテクトはノンプロテクト、あるいはアナログ時代と同じ程度で十分ってこった。

歴史をちゃんと考えたい

まあなんというか、しくじり先生といい中田敦彦のYouTubeといい、その他各種ニュースといい、当時の2chのダウソ民なんて当時の「あらくれハッカー」と「俺の理論は正しい」と言いたいアカデミズムのエライオジサン達の主張をそっくりそのまま再生するのは非常にいささか疑問だ。

ネットを探せば、色々な議論が本当はあったはずなのだが、たった20年で支持者側のリピートのような主張だけが「正史」になる状況は恐ろしさすら感じる。とにかく若者はこのことを単純に受け止めないでほしいとすら本気で願ってしまう。

40代以上の人は当時のことを体験したはずだ。私が子供の頃、田舎の本屋にも違法使用を煽るかのような本が置いてあった。なぜ知っているのにウソをつくのだろうか?

金子勇氏が問題にしたことは決してムダではなく、功績は大きかった。それは主に著作権制度や公権力のあり方を問うたことだったが、DRMの廃止はiPodからはじまり、ニコニコ動画やYouTubeがストリーミング配信やクリエイターの収益化を推し進めた。NetflixやSpotifyのサブスクリプションは決定的だった。こうした色々な人の努力があったはずで、それはIT業界の良き成長といっても過言ではないではないか。

特に我が国では初期のニコニコが違法動画から公式ストリーミングに移行した功績は大きく、加えて様々な歌い手文化を生むなど、すばらしい功績を収めている。これを書いている現在カドカワは渦中にあるが、なので応援している。

また、彼は「デジタル証券によるコンテンツ流通システム」を提案していた。原文が消失しているので私は詳細を知り得ないが、端的に言うと現実化した例ではブロックチェーンでのNFTに近いシステムだと思われる。そもそもNFT自体が結局は評価されないシステムであった(私も否定的である)し、後世を考えると24年現在までは現実性のある構想とは言い難い。しかしながら、このような先進的な構想自体は評価されるところもあるだろう。

結論として、Winnyというソフトウェアはある命題の解決にその技術選定は適切か?は違うことを、歴史は教えている、と私は思う。

また、Winnyの情報流出で被害にあった方、特に亡くなられた方もいることは忘れてはならない。現在はサイバー攻撃の個人情報の2次被害なども問題化しているが、私達がうかつに拡散すべきでないというのはこういうことなのだ。このこと見ずしては亡くなった方も浮かばれまい。

私は「ニコ動」初期からWebを色々知り始めたが、なのでWinnyの末期あたりは結局ツール自体触れなかったが、ある程度SNSや2ch経由で知っている。それで思うのは、やはり昔の社会の方がヘンだった。社会がおかしかったんですよ。Winnyだけじゃなくて、マジコンとかも流行ってた時期あたりまでは確実に変な文化があった。そんなころは世代の「恥だった所」って思ったほうが良い。開き直るの、やめようよ。