多分そう思う。典型的なのが例の本でベストセラーになった牛尾剛さん

恐らくは直接的には「PM経験」がデカい。あと「開発フロー知識の強さ」が方向性として有利なんだと思うけど。牛尾さんって多分日本時代からアジャイル知識は滅茶苦茶豊富そうな雰囲気があるから、そこを表面上は買われたと思うんだけど。

私がとにかく強く思うのはどんな年齢の人とでもフラットに付き合える能力な気がしました。

単純に言うと、ここでの「コミュニケーション能力」って言うのは、MIT卒の超優秀な若い人達にPM経験者の50代が「それってどういうことなの、すごい!」って言える姿勢ね。自分には相当難しいこと、って感じるのね。自分なんかもそうだし、日本人でこれが出来るメンタルの人ってレアじゃないかなって自分には思える。多分これが結構買われてる所、あると思う。

つまり全体がそもそも水準として平均より「はるか上」で優秀なのは間違いないんですが、日本人のシリコンバレーエンジニアは、GitHub見てても「素で天才級」(個人的には例えばミッチェル・ハシモトさんがそうだと思う。この動画を見てくれ)みたいなタイプが比率高くはない印象があります。

「スキルファースト」じゃないんだ。それがシリコンバレーって言うか、「アメリカの強さ」なんだと思う。

まずこれがバリバリに出来る人って記憶力が人並み外れて高い(例えば牛尾さんの場合、ADHDって仰ってるけどどう考えたって記憶力はスゴイ)ので、まあそういうとこに私は到底行けそうにありません。

が、真似できるところで言うと「デバッグ能力」が基本的にメンタルとしてあるんだと思います。問題が発見できるかは運もあるけれども、純粋に言うと「問題を掘ろうとする姿勢」みたいなところね。AzureのPR見ると分かるけど、そういう基本が出来るのが良いんだと思います。
これって理性は大人でもあるけど、根っこのモチベーションは童心みたいなところでやってるのがありそうで、そういう能力ってのがアメリカの世界では多く活かすことが出来るんだと思う。

つまりは日本人である限りは、きっと結構な人がエキスパート系を志向がちだと思うの(たとえPMとかの立場だったとしても)。私もかなりなりがちなんだけど、そういうメンタルでたまたま偉くなっちゃって、マネジメント系に行き着いた時に出てくるのって「マウンティング」なんですよ。これって多分日本社会の限り、相当あるんです。

でも本当にマネジメント能力がある人って、多分アメリカなら結構評価される傾向にありそうなのかな、と。だから長い将来的なとこで、「中身のあるマネジメント能力を磨けるように勉強してみよう」って意識するのはもしかしたら悪いことじゃないのかもしれないんですよ。

見習えない所は到底見習えないけど、こういった方向性とかはちょっとしたインスピレーションになって勉強になったりするので、見習いたいなあと思う。

余談1

あと最近参考になってることとして、ここ最近はシーズンとして大手企業のカンファがよくやってますが、良いなと思ったのはDeNAさんです。

細かい技術は理解できてないけど、雰囲気が良いよね。自分は本当に足りないので、なかなか技術技術になっちゃうんですよ。ただ一歩進んで、やっぱりプロダクトなんですよね。単にプロダクトを作って研究するノウハウってよりも、技術をユーザの肌体験につなげる意識みたいな所が勉強になるので、そういったところを参考にしていきたいですね。

余談2

「貢献」ではなく「自分が楽をしたいから」。Laravelスペシャリストが語る、肩の力を抜いたOSS活動のススメ

コントリビューションのきっかけは「自分が楽をしたいから」でした。それ以来、「自分にとって居心地のいい環境は自分で作ろう」という考えが一貫してあります。もし特定のOSSに足りない機能があって困るなら、追加すればいい。マニュアルが読みにくくて毎回頭を抱えるなら、校正すればいい。「文句を言う暇があるなら、自分で改善しよう」という思いが、より強くなっていきました。

最近私はPRをドンドン開いてるけど、この感じ、分かってきた。

モチロン技術的なイシュー修正とかは技術がないと素直に出来ない。この気持ちって「スキル持てれば」見えてくるところなので、そこに至るのって難しい。

ただ、そうじゃないことも切り口で見えるわけです。今やってることってとりわけ「誰でも出来ること」なんですよ。でも、誰もやってないよね(笑)

日本人であのツールを使ってるって人は時々見はしますけど、スター数多いPJTなのにやっぱり韓国人や中国人に比べて滅茶苦茶数少ないよね。最近そこらの人って、年令問わず驚くほどに「フリーライド主義」なことに気付いてきた。要は仕事さえ進めば、誰かに教えてもらえれば、みたいなのばっかなので、共有も改善もやろうってならないんだね。自由の場所だと言わないけど、中にはイラついた人が「車輪の再発明だ、無駄だ」ってポロって言っちゃう。そう思ってる人が出てくることは、みんな内心でマグマみたいに思ってるんです。

…で、一つとして、みんなオープンソースに使ってるのに使うものに文句だけ言って、無関心すぎるんです。自分もそうだったクセに、最近そこに気付いて物凄くイラ立ち始めた。ログ見てると韓国の人ですげーPR開きまくってる方がいらしたんですけど、どこかのCTOやってるらしくて。別に誰でも出来ることで技術持ってるんですよね。でもこれを1つの自分のアピールポイントにしてて、それ純粋に「滅茶苦茶カッコいいな」って思ったんですよね。「あ、このメンタルで良いんだ」って思ったの。誰でも出来ることをやったとしても、それはマージされてみんなが使えるようになれば、ちゃんと「OSS貢献やってるんだぞ」って胸を張って良いんだって。

別にそれぞれのメンテナからすりゃどーでも良い事なんだ。それなら苛立つだけじゃなくて、そんな内心、怒り駆動だったとしても、やってみてブチ当たってみようと。私もそういうものは沢山ある…けど、こんな簡単な案件ならチャンスがあるかなと思っていて。もしかしたら、そんな苛立ちすらもいつか良い意味で馬鹿に消化できる日が来るかも知れないと思ったりもする。

マザー・テレサの格言みたいなんだけど、良い言葉を見つけた。歳をとって思うのもなんだが、いい言葉だと思った。

暗いと不平をいうよりも進んで灯りをつけなさい。 誰かがやるだろうということは、誰もやらないということを知りなさい。

私は天台宗の信者ではないが、最澄の言葉も併せてメモしたいなと思った

経寸十枚是れ国宝に非ず一隅を照らす此れ即ち国宝なり

何をバカみたいに、って感じかもしんない。「オレが使いづらいものをピックアップして、まずはオレが使いやすいようにするぜ」みたいな気持ちがあるだけ。ただ、そんな自己満足は結構良いことなんだと思う。

それをちょっと難しいことを増やしていって、色々出来るようになればいいな、って思います。

余談3

Deep Seekとか出てきたので中国はなぜスゴイのか、ということがよく言われています。

私自身は(これはインドとかにも言えますが)、GitHubを観測してきた人としては、カルチャーとしてその国の政策事情に反するほど驚くほどリベラルなのがあると思う、と言うのが私の推測です。

好き勝手にやるし、なんでも提案して作ってくるんです。平均的なギークメンタルについては、中国や韓国、台湾の人は、日本人より冒険心が高い印象があります。1つとしてxmakeみたいなものは、まさにそういう元気があって実現しているものだと思います。中国でしか流行ってなくたって、民主的なコラボレーションが起こってるならそれは結構良いことに見えます。